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2004.03.16

小川洋子「博士の愛した数式」を読んだ

数字、特に素数、と、数式の美しさ。
普遍の光を放つそれらはまさに芸術と呼べるだろう。
そんな数字、数式を博士が話すシーンを交えつつ、
静かでやすらかにストーリーが展開される。
登場人物は3人。
記憶が80分しか保てない、天才的な老数学者「博士」と、
そこに派遣されてきた、家政婦の「私」と、
老数学者が”ルート”と呼んだ、「私」の10歳の息子。
博士は記憶が不自由である。事故にあった
1975年以前の記憶はしっかりと残っているのに、
それ以降の記憶は全く蓄積されない。
だから、毎日やってくる家政婦の「私」は、くる度に
”あなたは誰ですか?”となってしまう。
記憶が80分しか保てないから、ちょっと買い物でも
80分以内に戻ってこないといけない。
家政婦からしたら、手ごわい相手だろう。
しかし、「私」は博士の話す数字、数式の美しさに
感動しつつ、その記憶の不自由さを思いやりつつ
2人の生活は進行します。「私」に息子がいることを知った
博士は「子供を独りにしてはいかん、ここへ連れてきなさい」
と言い張り、「私」は仕方なく次の日から息子を連れてきます。
その息子をまるでわが子のように慈しみ、算数を
上手に教えます。その問答が美しい情景を描きます。
息子はタイガースファン。博士にはタイガース時代の
大投手・江夏しか記憶に残っていません。そんな博士を
野球観戦に誘います。”昨日、江夏は投げたから
今日は出ないよ”って、愛のある嘘まで言って。
ある日、世界的な数学雑誌の発行以来の最高額の
懸賞金が懸けられた懸賞問題を見事に解いて、
博士は一等賞を獲ります。しかし喜びません。
”問題とは、答えが分かっている人が出している”と。
博士にとっては、答えの分かっていない、”神様の辞書”に
書かれている真理を見つけることが、すべてである。
その姿はまさにアーチストという感じであった。
さて、そうはいっても「私」にとってはお祝いしなくちゃ、
ということで、息子の誕生日と一緒に、お祝いの会を開きます。
そこで、ケーキを落としてしまった博士、本当に申し訳なさそうに
息子にあやまります。一方、息子と「私」は一生懸命、大丈夫
ですよ、大丈夫ですよ、といたわり、博士の持っていない
幻の江夏のカードをプレゼントするのでした。
永遠にこのストーリーが続いていくような、いや、続いていって
ほしい、と思いました。数学という理系的な美しさ、
博士を思いやる文系的な美しさ、その融合がとても心地よいです。

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